2020.09.11

愛を知る牛:楽園で繰り広げられる、牛たちと人間たちの愛に満ちた営み(前編)

「牛たちの楽園感が半端ないですね」。
同行したカメラマンのなりたいつかさんがシャッターを切る手を止めずに言った。いつかさんも夢中になって撮ったこの大写真をまずは、味わってほしい。
見知らぬ人間の訪問に、最初は遠巻きにしていた牛たちも、帰る頃にはクルマのまわりで寝そべって草を食んでいる。短角牛は黒毛和牛に比べると性格が温厚だという。それにしても、このくつろぎぶりはなんだろう。
牛たちから発せられている幸せオーラに包まれて、なんとも立ち去り難い気分になった。後ろ髪をひかれるというのはこういうことか。牛たちに手を振りながら、山を降りた。

楽園への道のりは、そう、容易ではない。

 結論から言えば、かづの牛の魅力を語るためには、牧野に放たれている牛たちを見ればよい。このことを言葉で書こうとするのは、なかなか愚かなことなのではないかとすら思う。しかし、伝染病などの衛生管理などもあり、牧野は二重のゲートで管理されている。いつでも誰でも入れるわけではない。楽園への道のりは険しいのだ。だから、鹿角の人間でもこの牧野を訪れたことのある人はそんなに多くはないはずだ。牧野に伺いたいと畜協の実幸さんにお願いしたのは2日前。たまたま牛飼いのみなさんが牛たちの手入れをするために山に上るタイミングにご一緒できることになった。周囲も「ありゃ、そりゃラッキーだな」と口々に言う。
当日朝7時50分。つなぎと長靴に身を包み、実幸さんの牛舎に集合。八幡平の山奥にある馬見平の牧野に向かう。新たに放牧される牛を乗せた車について進む。結構な山道だ。険しい。こういう道では軽の四駆が活躍する。嬉しくてギャロップする馬に乗っているような気分だ。ギャロップする馬に乗ったことはないけど。
第2ゲートに到着するも、牛たちの姿はまだ見えない。「ここはだいたい広さは114ヘクタールで、牧草地になっているのは84ヘクタールくらい。牧場の入口で標高800m。一番高いところで1000m位。上まで登ればアメリカまで見えるよ、今日は見えねえけどな」。牛飼いのみなさんもなんだか弾んでいる。

牧野に向かう道中は、なかなかワイルド。
軽の4駆じゃないと難しいよと地元の皆さんに案じられたとおりだった。

モヤの中から現れる、幻想的なべごたち

 さらに登ったところに、今日の作業を行うパドックがある。牛たちを集めて、虫よけや角切りなど手入れを行う。パドックには水があり、牛たちのミネラルを補給する塩分「鉱塩」も置いてある。牛たちが体調を整えたいと思ったら、自ら集まってくる場所だ。
「ありゃ、べごがだ、いねぇな」。
この牧野にべごさんたちが上がってきたのはまだ1週間前。日陰には雪も残っている。山の天気は変わりやすい。肌寒くなり、モヤも出てきた。モヤの先に牛たちの気配は全くない。
「これは容易でねえな」と牛飼いのみなさんの顔色にもモヤがかかる。作業には予定がある。話し合いが終わると軽トラが牧野に散った。「べごがだ呼びに行っただよ」とお母さんが言う。
待つこと10分。モーモーという声が聞こえてきた。モヤの向こうに牛たちが現れた。引き締まった体躯。つぶらな瞳。つややかな赤みがかった毛並み。子牛をいたわりながら歩く親牛。ヤンキーの修学旅行よりはずっと整然としたパドックへの入場。もう、幻想的だ。壮観だ。そして見事な牛追いの技術。
「やっぱり、牛の気持ちとかわかるんですか? 話とかできるんですか」と聞いたら「バカこくでね、べごと同じにするんではねぇ!」と言われた。

モヤのなかからベコたちが現れた! モーモー!
決定的瞬間。牛の一突き。雄牛は何度もチャレンジしてました。元気だ。

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