2020.05.18
愛のあるりんごを、これまでも。これからも。
次世代の鹿角りんご農家座談会(前編)
鹿角りんごの歴史が始まったのは明治以降。とはいえ、佐藤要之助氏が鹿角でりんご園を始めてから、すでに134年が経つ。鹿角で愛され続けている「りんご」について、鹿角の若手農家たちはどう思い、これからどうしていこうと考えているのだろうか。──ということで、今を輝く7名の若手りんご農家たちによる座談会、開催!
見渡せば、りんご畑という景色が当たり前。
そんな時代に、ぼくらは育った。
──代々りんご農家という方がこの中にもいらっしゃると思いますが、もっともりんごが盛んだった時代のこと、聞いたことがありますか?
上野 昭和50年代に入ってからは鹿角のりんご畑は減り続けているけど、それでも昭和60年代でも見渡せばりんご畑、というのが鹿角の景色でした。親父の時代は長靴履いてクラウンに乗っていた、ということはあったみたいですね。観光農園には、バスが続々と入っていたのを覚えています。
上田 我が家も小さいころ、りんご畑が私たちの遊び場でした。そのころ、盛んなときはバスがよく来たりしていましたね。
──上田さんが幼いころ、といえばまだ30年も経っていないですよね。それだけバスが来ていたんですね。
池田 昔といえば、そこら中にりんご畑があるからか、高校生とかがよく「ヒョイ」って(りんごを取ってしまう)ことがね。「まだ青いからな~! うまぐねーぞ!」って叫んだりしてましたね(笑)。そんなことをする畑も少なくなってしまいましたね。
りんご農家は職人気質で個人プレーが多い。
高い技術を持って、人を育てられるかどうか。
──りんご農家として、お互いを〈こいつのここがすごいんだ〉と思うことを教えてもらえますか?
上田 案外、個人プレーなので周りのみんながどうやっているか、わからなかったりする(笑)。
上野 僕は、若手の佐藤くんとか、中村くんには注目しています。剪定の仕方などを観察していると、とても参考になるんです。
佐藤 僕は池田くんがすごいと思ってみています。自分はりんご作りも子育ても、苦しいことがいっぱいあったりするんだけど、同じく子育て中なのに一切苦しい顔をしない。いつも笑っているし、楽しそう。
池田 え、そうかな…? 猫被っているだけじゃないかな(笑)。僕は果樹って農業の中でも職人気質の人が多いと思っているんです。いろんなやり方があると思うんだけど、たとえば上野さんは経営の視点が素晴らしいと思うし、見習いたい。佐藤くんは物腰柔らかなのに、ひとつの果樹に対するこだわりが強くてすごいと思う。兎澤さんも大きい面積をどうやって管理しているんだろうって感心しています。
佐藤 僕も兎澤さんはどんな段取りをしているんだろうっていつも思ってます。
兎澤 僕一人の力ではなくて、しっかり働いて、手伝ってくれる人がいるからですよ!
上田 でも、あちこち点在してるよね? どうしてそんな風に増えていったの?
兎澤 もともと2.5ヘクタールだったのが、徐々に増えていって今4ヘクタールくらいです。もうやれなくなった人から頼まれたり、相談されたり。とはいえ、すべてのお話を受けているわけではなくて、前の人の育て方とかもあるので、それも見て決めています。経営的には、作業性を考えて一箇所にまとめた面積にして、借りたりするのは近場にする。できるだけ1つの畑で品種を限定するようにしたり…、とは考えています。
上野 作業しているのを見ていると、たくさんお手伝いしてくれる人がいていいなぁって思うよ(笑)。最大で何人くらいいるの?
兎澤 多いときで8人くらいですね。
上野 やっぱり、人手は必要だよね。4ヘクタールやるとすれば、一人ではやれないもんなぁ。中村くんのところも、面積は広いよね。
中村 りんごだけだと2ヘクタール半くらいですね。僕は皆さんをすごいなと思うのは、親御さんとうまくやっていること。うちは最近、親子の会話が少ないです。
佐藤 親子関係もいろいろとありますよね。
中村 うちは父が見て覚えろタイプで、あまり教えてくれません。諸先輩には丁寧に教えてくれる人もいるので、なんで父は教えてくれないんだろうと思うこともありますね。
(後編に続く)